こんにちはジオ丸です。男鹿市ジオパーク学習センターの図書コーナーが充実しました。男鹿半島・大潟ジオパークの立ち上げにご尽力いただき、さらに、長らくアドバイザーとして支えてくださった白石建雄先生からたくさんの本をご寄贈いただきました。専門的な書籍、貴重な記録資料、地学関連の全集などが新たに加わり、内容が一気に充実しました。ゆっくり閲覧できるよう、机と椅子も配置しましたので、どうぞご利用ください。


こんにちはジオ丸です。男鹿市ジオパーク学習センターの図書コーナーが充実しました。男鹿半島・大潟ジオパークの立ち上げにご尽力いただき、さらに、長らくアドバイザーとして支えてくださった白石建雄先生からたくさんの本をご寄贈いただきました。専門的な書籍、貴重な記録資料、地学関連の全集などが新たに加わり、内容が一気に充実しました。ゆっくり閲覧できるよう、机と椅子も配置しましたので、どうぞご利用ください。


こんにちは(*’ω’*)
大潟村干拓博物館、ジオパーク担当の かままゆ です👓✨
突然ですが、実は私、男鹿半島の付け根の少し北側で生まれ育ち、大潟村に勤務しているにもかかわらず、
「ジオパークとはなんのことだろう?(゜₋゜)」
「男鹿半島・大潟村がジオパークに認定されているけど、どういうことなのだろう?(゜₋゜)」
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と、恥ずかしながらずっと疑問に思っていました…(;´・ω・)
しっかり勉強しなければいけない(゚д゚)!
そこで、過去のブログ内容と重複してしまうかもしれませんが、このブログをご覧くださっている皆さんと一緒に今一度確認させていただきたいと思います!
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日本ジオパークネットワークのホームページには、下記のように記載されています。
【ジオパークとは】
〇地質・地形から地球の過去を知り、未来を考えて、活動する場所です。
〇地球科学的意義のあるサイトや景観が、保護、教育、持続可能な開発のすべてを含んだ総合的な考え方によって管理された、1つにまとまったエリアです。
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う~ん…(;´・ω・)
まずは、過去を知る…(゚д゚)!✨
ここで、大潟村の干拓前の姿である八朗潟の生い立ちを、とても簡単にお知らせしたいと思います!
【八朗潟は】
“10,000年ほど前、男鹿半島と本土は陸続きでした。気候変動を繰り返す(海面が、温暖な気候で高くなったり、寒冷な気候で低くなったりする)ことで、2,000年ほど前に八朗潟の形になりました”
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このように、大潟村干拓博物館の常設展示に記されています。
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さて。
八朗潟の生い立ちを知ると、私たちが地球のために考えて行っていることがとても小さなことだと思えてしまいました。
どんなに抗っても、地球は否応なく変化し続けている。気候変動などを食い止め、今ある景観を残すことはできるのだろうか…?
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『単なる観光地としてだけでなく、ジオパークの意味を知ってもらったそのあとはどうすればいい?』
『ジオパークに携わっている私ができることは何だろう?』
『地球の過去を知らせ、未来を考えてもらえるような発信とはどんなこと?』
なんだかとても壮大なプロジェクトに携わっている気持ちになりました(◎_◎;)
私は専門家ではありません。
しかし!干拓博物館やこのブログを通して、私と一緒に皆さんも何かを感じてくだされば未来を考えるきっかけになるかも…(゚д゚)!?✨と思った かままゆ👓✨でした(*^-^*)
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八朗潟の成り立ちを詳しく知り、少しだけ地球のこれからを一緒に考えてみませんか?
大潟村干拓博物館で、お待ちしております!
初めまして(=゚ω゚)ノ✨
4月に大潟村干拓博物館に異動となり、ジオパーク担当になりました、鎌田と言います(*’ω’*)
ここでは“かままゆ”と名乗らせてもらいたいと思います👓✨
これから、よろしくお願いいたします✨
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着任して初めてのブログ、何を書こうか(。´・ω・)?考えていたところ…思わぬ出来事がありました。
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先日、村民の方が
「田んぼでウナギのような生き物を捕まえた!展示できないか?」とのご相談に、博物館までいらしてくださいました。
残念ながら設備が整っていないため、男鹿水族館GAOへの相談を提案したところ。
「村で見つかったものだから、ここで皆に見てもらいたかった…(´・ω・`)」と…✨
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そうおっしゃる思いに感銘を受け、
どうにかしてその思いを叶えたい(≧▽≦)!そして、私もウナギ(仮)が見たい (=゚ω゚)ノ
その一心で、退勤後にお邪魔させていただき、ブログ掲載の許可もいただきました!
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見てください!大きさ、おわかりになりますか??
大きい~~~~~~(;゚Д゚)!!

そして、太い~~~~~~(;゚Д゚)!!

※タライの大きさは直径60㎝ほどでした\(◎o◎)/!
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田植え準備の一つ、代搔き(しろかき)作業をするために水路から田んぼに水を入れようと仕切り板を上げたところ、入ってきたのだそうです。
「フナやソウギョが入ってくることはあったが、ウナギ(仮)が入ってくることは初めてだ。」とのことで、ご家族も驚いていました。
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タライの中で元気に泳いでいる動画を見せていただき、私も撮影してきたのですが、掲載する技術がなく…断念しました(ノД`)・゜・。。
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出勤し、ウナギ(仮)の画像を、博物館アドバイザーに見てもらったところ
館長これを(´っ・ω・)■スッ…「ウナギだね✨」
お~~~~~~\(◎o◎)/!
(*’ω’*ノノ“パチパチパチパチ☆
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さて、前置きが長くなってしまいましたが、ここからが本題です。
アドバイザー曰く「残された八郎湖に、ウナギが生息できるだけの環境が残っている証拠」なのだそうです。
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実は、博物館に来館してくださったお客様の中には、
『八朗湖を干拓したことで、自然が失われた』
『八郎湖を干拓したことで、生態系が壊れてしまったのではないか?』
という、心配の言葉を口にする方が、わずかながらいらっしゃいます。
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確かに、おっしゃる通りかもしれません。
ですが、干拓後、大潟村として歩むうちに、何もない更地同然のところに草花が生え、人工的に植樹をし、それを維持し、田畑を営み、新たな自然を生み出してきた、そう言えるのではないでしょうか?
また、干拓当初より飛来する野鳥の種類がおよそ4倍に増えた、という2024年の調査結果からも自然が息を吹き返しているようにも思えるのです。
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壊れてしまったものはある。
ですが、残っているもの、新たに生まれたものもある。
ウナギ1匹との出会いから、そのようなことを考えた、かままゆ👓✨でした(=゚ω゚)ノ
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もし、村内で珍しい生き物や植物を発見したときは、ぜひお気軽にお知らせください。
保護や飼育はできませんが、皆様にお知らせして、驚きや喜び、学びを共有できるよう、尽力いたします!
世界のジオメイトのみなさま、ごきげんよう(・ω・)ノ🌹
男鹿半島・大潟ジオパーク認定ジオガイド兼ジオパーク専門員のたかみーです⛄
最新情報でもお伝えしましたとおり、
5月26日に男鹿半島・大潟ジオパーク認定ガイドの柴田万里子さんが、ABSラジオ「まちなかSESSION エキマイク」に出演します!
日時:5月26日(火) 14:00~14:20頃
番組:ABSラジオ「まちなかSESSION エキマイク」(14時コーナー内)
ABSラジオ「まちなかSESSION エキマイク」HP
ABSラジオ防災特集

秋田県民なら5月26日という日付にピンとくる人も多いかと思います。昭和58年5月26日正午ごろ、マグニチュード7.7の地震が発生しました。日本海中部地震です。この地震による死者は104人、うち100人が津波によるものでした。加茂青砂海岸では、遠足で来ていた合川南小学校の4・5年生の児童13名が津波によって亡くなりました。
当時、「日本海側には津波が来ない」という迷信があり、男鹿半島は昭和14年男鹿地震で落石や地割れの被害があったことから、「地震が来たら浜へ逃げろ」とも言われていました。
日本海沿岸では、日本海中部地震以前に昭和39年の新潟地震がありましたが、津波による死者はいませんでした。津波の被害があった地震は天保4年(1833)の庄内沖地震までさかのぼります。庄内地方と能登地方の沿岸で津波の被害があり、地震と津波合わせて100人近い死者が出ました。日本海沿岸では150年にわたって津波の被害がなかったため、津波被害が伝承されなかったのです。

取材には私も同行しましたが、この日はとても暖かく、海岸ではハマナスが咲いていました。最近は地球温暖化のせいなのか、季節が進むのが早い気がします。地震当時はきっとまだハマナスは咲いていなかったんじゃないかな。43年経っていろんなことがちょっとずつ変わってきたけど、大切な家族を亡くされた遺族の悲しみ、悔しさはずっと変わらないのだろうなと思います。
これからも男鹿半島・大潟ジオパークでは、ジオの魅力、自然の恵みとともに災害の記憶を伝承していきます。5月26日はぜひラジオを聞いてくださいね。
世界のジオメイトのみなさま、ごきげんよう(・ω・)ノ🌹
男鹿半島・大潟ジオパーク認定ジオガイド兼ジオパーク専門員のたかみーです⛄
みなさま、ゴールデンウィークはいかがでしたか?
私は今ホットな話題のこぐまちゃんに会いに行ってきました🐻
ちっちゃくてふわふわでころころしてて、よちよち歩く姿はあどけなくて、漆黒の毛並みは美しく、ずっと赤ちゃんサイズだったらいいのになぁ…と思ってしまいました(※筆者が会いに行ってきたのは男鹿水族館GAOのホッキョクグマのモモ太くんではなく北秋田市阿仁のくまくま園のツキノワグマのこぐま(名前はまだない)です)
打当温泉マタギの湯に併設されているマタギ資料館にも行ってきました。阿仁には菅江真澄スタンプラリーが目的で今回初めて行きました。スタンプラリーの台紙は秋田県内の各道の駅にありますので、みなさまもぜひやってみてください。男鹿には真澄が図絵に残した風景がたくさんありますので、見比べてみるとおもしろいと思います!

↑ 秋田県立博物館のミュージアムショップで売ってる菅江真澄のポストカードを100円ショップで売ってるカードケースに入れてキラキラシールでデコレーションしてみました。まさか自分の肖像画がアイドルみたいにキラキラにされるとは思わなかったろう。
ところで、江戸時代に男鹿半島では鹿が増えすぎて、鹿狩りを行ったことがありました。鹿を崖から落としたから「鹿落とし(ししおとし)」なんて名前がついた崖があるくらいです。
男鹿市史(昭和39年発行)によると、江戸時代に行われた鹿狩りには、阿仁のマタギや旧河辺郡船岡村の猟師が動員され、マタギが男鹿に滞在している間の食事は藩から与えられました。さらにマタギの相棒のワンちゃんにも食事が与えられたそうです。それからなんやかんやいろいろあって、明治期以降に男鹿の鹿は絶滅しました。ニホンジカはなんでも食べるし樹皮も食べるから木は枯らすし、繁殖スピードがとんでもなく早いので、共存する道を選ばなかったのも仕方ないのかもしれない。
マタギ資料館で男鹿の鹿狩りと現在のクマ問題をふと思い出して、野生動物と人間の距離感って難しいな…と感じました。でも、マタギの人たちにとってクマは山の神様からの授かりもの。自然の恵みに感謝しながら生きなければなとも感じました。
男鹿半島・大潟ジオパークのエリア内でもクマが目撃されています。お出かけの際は、男鹿市HPやクマダスのチェックを忘れずに、単独行動をしない、ごみは持って帰る、鈴をつけてクマに人間がいることをアピールするなど、クマ対策を怠らず、でも自然の恵みの感謝を忘れずに、ジオパークをお楽しみください🐻
世界のジオメイトのみなさま、ごきげんよう(・ω・)ノ🌹
男鹿半島・大潟ジオパーク認定ガイド兼ジオパーク専門員のたかみーです⛄
男鹿水族館GAOのホッキョクグマの赤ちゃんの名前がモモ太に決まりましたね!私はかぜまる推しだったんですが、モモ太という候補をみたとき「あ、これモモ太じゃん」と直感で思いました。モモ太くんに会いに行かれる方は、ぜひ水族館周辺の岩脈や球顆流紋岩、スイス人女性犠牲者の慰霊碑も見ていってください。また、男鹿市ジオパーク学習センターのすみっこ企画展ではさまざまな流紋岩を展示しています。雨の日でも快適な屋内でジオパークをお楽しみください♪
さて、本日は5月1日ですが、
昭和14年5月1日午後3時に男鹿半島で大きな地震がありました。87年前の日中戦争下での出来事なので、男鹿で生まれ育った人でも若い世代は知らない人もいるかもしれません。
先日、加茂青砂地区に行く機会があったのですが、合川南小学校の児童の慰霊碑のお掃除をしている地元の方(50代と96歳の女性お二人)と偶然お会いして、地震のことについてちょっとお話を聞くことができました。

↑ 合川南小学校児童地震津波殉難の碑は、昭和58年5月26日に発生した日本海中部地震の津波の犠牲となった合川南小学校の4・5年生13名の慰霊碑です。いつも地区の人たちによってきれいに保たれています。
96歳とのことだったので、もしかして昭和14年の地震について何か知ってるかも!?と思って聞いてみました。
当時は10歳くらいで、北浦にいたんだそうです(加茂青砂には嫁いできたとのこと)。家の中にいたら、急に家の上をダンプが走った!?と思うほどの衝撃で、お家を出て竹藪に逃げ、家族一緒に竹藪の中で一夜を明かしたと教えてくれました。
ちなみに日本海中部地震では津波が防波堤を越えて建物に浸水することはありませんでしたが、爆弾低気圧(2012年4月)のときは波が防波堤を越えて石碑のあたりまで来たことも教えてくれました。これは知らなかったので目からウロコな気分でした。
自然災害の被害や教訓を伝承する石碑(自然災害伝承碑)は男鹿半島・大潟ジオパークに7基あります。自然災害伝承碑を防災・減災に活用しようという動きが全国でありますが、災害を経験した人の生の声はやっぱり強いなと思いました。でも、過去の災害を経験した人はやがていなくなります。地域の人との何気ないおしゃべりから、これからの災害伝承の課題が見えてきたような気がした出来事でした。
男鹿市ジオパーク学習センターには地震に関する展示ブースもありますので、ジオパークをぜひ防災・減災の学習にもお役立てください。

こんにちはジオ丸です。男鹿市ジオパーク学習センターで、ちいさなちいさな…すみっこ企画展が始まっています。今回のテーマは「球顆流紋岩」です。(ジオと関連したテーブルゲームも楽しめます。)期間は5月10日(日曜日・地質の日)までとなっています。(ただし、5月7日は休館です。)どうぞご来館ください。


世界のジオメイトのみなさま、ごきげんよう(・ω・)ノ🌹
男鹿半島・大潟ジオパーク認定ガイド兼ジオパーク専門員のたかみーです⛄
いよいよ明日、令和8年4月25日(土)から
秋田県立博物館の企画展「秋田の大地の成り立ち」が始まります!
↑ 画像クリックでフライヤーがご覧いただけます
今回の企画展では秋田県内4ジオパーク(男鹿半島・大潟、八峰白神、ゆざわ、鳥海山・飛島)も展示に協力させていただき、ジオパークの展示も設けていただきました!気になる男鹿半島・大潟ジオパークの展示内容は見てのお楽しみです!企画展のついでに男鹿半島・大潟ジオパークまで遊びに来てくれたらうれしいです!
企画展は6月28日(日)までですので、ぜひ多くの方に、足元の大地の成り立ちとジオパークについて知っていただけたらなと思っています。
この機会に自分の足元から秋田を見つめなおしてはいかがでしょう?゚+。:.゚ヽ(*´∀`)ノ゚.:。+゚
たくさんの方のご来場お待ちしております!
こんにちはジオ丸です。男鹿市ジオパーク学習センターでは、ジオが学べるテーブルゲームを集めてみました。地質や岩石・鉱物・化石などだけでなく、防災や環境、伝承などについて学べるゲームもあります。デジタルゲームも楽しいですが、たまには友だちといっしょにアナログゲームでデジタルデトックスなどはいかがでしょうか。「ちいさなちいさな…すみっこ企画展」に合わせて、4月29日から5月10日までの期間、自由に遊べるように準備しています。ぜひ遊びに来てみてください。

世界のジオメイトのみなさま、ごきげんよう (・ω・)ノ🌹
男鹿半島・大潟ジオパーク認定ガイド兼ジオパーク専門員のたかみーです⛄
いよいよ明日、令和8年4月18日(土)に
寒風山の山焼きが2年ぶりに行われます゚+。:.゚ヽ(*´∀`)ノ゚.:。+゚
※林野火災注意報が発令されていることと風速5メートルを超える強い風が見込まれることから19日に延期になりました
昨年はお天気が悪くて山焼きが実施できませんでした(><)
お家から寒風山が見えるよーという方は、
寒風山から立ち昇る煙がまるで噴火のように見えるかもしれないですね。
ちなみに火入れは朝8時を予定しています。ぜひご注目ください。

実は草原の景観って珍しくて、国土のほとんどが湿潤な気候である日本では、草原は放っておくと樹木が侵入してきてやがて森林に移り変わっていきます。今ある日本の草原は人の手が入ること(草刈りや山焼きなど)で維持されているのです。
農業が今のように機械化される前はどこの農家でも牛や馬を飼っていたため、草原は日本中どこにでもありました。牛や馬のエサにするために草を刈っていたからです。

↑ 倒れちゃってるけど、寒風山には草刈番小屋跡地なる石碑があります。
1964年に発行された、男鹿市脇本字大倉出身の民俗学者の吉田三郎さんの著書「男鹿風土誌」に
寒風山の草刈り(ひくさ刈り)のことが書いてありますので、興味のある方は読んでみてください。男鹿市立図書館にあります。

↑ こちらは専門員私物。古本市で偶然ゲットしました。
吉田三郎さんの話はもっと深堀したいところですが、長くなるので(気が向いたら)またいつかこのブログで紹介したいと思います。
山焼きが無事成功しますように☆.。.:*・゜