秋田の開拓の父

こんにちは。さきいかです????

以前、干拓博物館にいらっしゃったお客様が
「まげを結った人の時代から土地を作っていたんですね~すごいですね~(*゜∀゜)」
と話されていました☺

そうなんです!
干拓計画のさきがけとなった人物!
渡部斧松(わたなべ おのまつ)さんを紹介したいと思います☺
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1793年、現在の能代市檜山で生まれた斧松さんは、若い頃一度江戸で働いた後秋田に戻り、1819年頃、鳥居長根(現在の払戸)の開拓を行いました。
これが八郎潟周辺の最初の開田開発です。
江戸時代、新たな田んぼを作る新田開発が奨励されました。
田んぼを作るには水が必要ですよね。
しかし!八郎潟西岸は用水の確保が難しく、東岸に比べて開田が遅れていました。

そこで立ち上がったのが斧松さん!
寒風山からの伏流水に着目し、「滝の頭湧水」を用水源にすべく
約80両の財産を全て投じ、8㎞の水路を造りました。
水源を確保した斧松さんは開拓を進め、渡部村ができました。
現在でも払戸字渡部として地名にその名が残っています。
↓渡部神社 なんとも厳かな雰囲気
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斧松さんが見えてきました!

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自分の体に縄を結び「もし万一のことがあれば私の体を引き上げてくれ」と言い、土砂崩れと闘いながら水路を完成させました(>_<)
すごい根性ですね!
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大潟村は59年前に誕生しましたが、200年以上も前から八郎潟周辺では開拓が始まっていました。
斧松さんが干拓された大潟村をみたらびっくりしちゃうだろうなぁ( ´▽`)

渡部地区からは寒風山もよく見えました~
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斧松さんも見ていた景色なのかなぁと思うと感慨深いものがありました。

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