• 名称 八郎潟残存湖
    一言説明 旧八郎潟の名残
    キーワード 歴史自然文化
    指定・登録
    保全法令等

    昭和32(1957)年~52(1977)年にかけて行われた八郎潟の干拓工事で陸地とならずに残った水面部分です。もともとは海とつながった汽水湖でしたが、11本の鉄塔からなる防潮水門によって締め切られた今は淡水湖となっています。残存湖の面積は約4,000haで、十和田湖より小さい湖です。

  • 名称 防潮水門
    一言説明 大潟村の生命線
    キーワード 歴史伝説自然
    指定・登録
    保全法令等

    八郎潟は日本海とつながった汽水湖でした。干拓後は船越水道に設けられた防潮水門で海水はさえぎられ、残った湖は淡水化されています。全370mの水門は、海水の侵入だけではなく、周辺地域から流れ込む水を調整し、八郎潟残存湖の水位を一定に保つ役目もしています。

  • 名称 八竜橋
    一言説明 明治11年に開橋した有料橋
    キーワード 自然歴史伝説
    指定・登録
    保全法令等

    明治13(1880)年に天王・船越間に両村の負債返済のため、有料橋として完成しました。橋の長さは540mあまりです。有料は同19年まで続きました。昭和51(1976)年に現在の橋として改修されています。

  • 名称 八龍神社と魚類供養塚
    一言説明 漁業の神と魚への供養
    キーワード 歴史自然文化
    指定・登録 男鹿市指定有形民俗文化財
    保全法令等 男鹿市文化財保護条例

    八郎潟漁業者の信仰があつい八龍神社は、かつて八郎潟に突き出た砂州になっていました。干拓前の八郎潟では漁業が盛んで、漁業者が八龍神に豊漁を感謝し、魚の霊を鎮めるために石碑を建てました。最も古い「湖鰡供養塚」は文久元(1861)年に建てられています。また船越の漁業者や政治家が八龍神への感謝として、護岸用の石を奉納して石碑を建てています。これらの石碑は、漁業者の八龍神に対する信仰心を表す貴重な民俗資料として市の指定文化財になっています。