• 名称 男鹿のまるきぶね
    一言説明 樹齢300年以上の杉でつくる舟
    キーワード 歴史文化体験
    指定・登録 重要有形民俗文化財
    保全法令等 文化財保護法

    樹齢300年を越える杉からつくられる丸木舟は、推進具に櫓(ろ)を使用し、磯ものの採取用として、また荷物の運搬用として、男鹿半島沿岸の集落で古くから使用されてきました。火山活動の結果、岩礁の多い男鹿の海では、岩にぶつかっても壊れにくく、潮や風にも流されにくく、転覆しにくい最適な舟でした。男鹿半島では明治3(1870)年に389隻あったことが知られています。昭和52(1977)年には約40隻が使用されていました。この丸木舟は全長655cm、幅86cmで昭和26(1951)年に製作され、国指定直前まで加茂青砂の海で使われていた2人乗りの典型的な丸木舟です。

  • 名称 旧船川線防波堤
    一言説明 海上を走っていた線路
    キーワード 自然歴史探求
    指定・登録
    保全法令等

    現在のJR男鹿線は昭和5(1930)年12月16日に奥羽本線の支線「船川線」として全線開通しました。同じく昭和5年に開港した船川港からの物資の輸送を主たる目的とし、旅客車と貨物車を連結した混合列車でした。大正12(1923)年には船川駅(現男鹿駅)と秋田駅を1日6往復し、片道1時間半から2時間の旅でした。
    また、金川からは海上を線路が通って、埋立地である船川駅に到着しました。寒風山で採れる男鹿石でつくられた防波堤がその名残を留めます。

  • 名称 船川港第一船入場・第二船入場防波堤
    一言説明 初期の船川港を知る遺産
    キーワード 自然歴史探求
    指定・登録 土木学会選奨土木遺産
    保全法令等

    船川港は明治43(1910)年に国の重要港湾指定を受け、翌年築港工事が開始、昭和6(1931)年に完成しました(開港は昭和5(1930)年2月28日)。第二船入場防波堤は現在その2/3が埋め立てられていますが、昭和5(1930)年に完成した全長363.6mの防波堤で、寒風山で採れる男鹿石を使った間知石(けんちいし)積み工法でつくられています。第一船入場防波堤は埋め立てられ、係船柱のみが確認できますが大正3(1914)年に第二防波堤と同様の工法でつくられています。港は船川港町を活性化させ、明治34(1901)年には約4,500人であった人口が昭和25(1950)年には約17,000人になりました。